自分の感受性くらい

夏も過ぎ去り、いよいよ受験シーズンがやってきました。基礎体力をつけてきた皆さんは、これから演習を重ね、より高み向かって努力を重ねていくことでしょう。夏の間は、単語の暗記や公式の暗記、小問の繰り返しなど、本当に地味で単純な勉強を嫌になるほど繰り返したと思います。また、それらの量の膨大さに、時として無力感もあったと思います。しかし、そこから逃げ出さず耐え忍んだあなた達は(自分では気づいていないかも知れませんが)、受験生として一回りも二回りも大きく成長しました。さて、ここから本格的に過去問や演習に取り組んでいきます。長い準備期間を経てようやく受験勉強が始まります。考えてみてください。志望校に合格するためには、これまでの自分の限界を超えていかねばなりません。自分に対する言い訳、甘え、怠け癖、ありとあらゆる自分の弱さと向き合う覚悟を決めてください。

 今回は、これから困難と向き合っていく皆さんに伝えたい言葉を送ります。

詩人、茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩です。

ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを

近親のせいにするな

なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい

自分で守れ

ばかものよ

私が初めてこの詩に出会ったのは中学生の時でしたが、当時はほぼ理解できませんでした。時がたち、初めてこの詩がすとんと入ってきたのが、大学受験の時でした。一日12時間勉強し、半年経っても偏差値は上がらず判定も変わらず、上手くいかないことばかり目について、恥ずかしながら人や物にさんざん当たりました。ついに一週間勉強を放棄しました。そんな時に、たまたまこの詩をもう一度読みました。そして、ただ上手くいかないことを他人のせいにして逃げまどっている自分に気づきました。大学や志望校を誰かに強要されたわけでもなく、また、諦めるように強要されたわけでもなく、ただ自分が行きたいと言った大学を、自分で勝手に諦めようとしていました。「ばかものよ」は、誰かに投げかけた言葉ではなく、自分自身を叱咤する言葉だと思います。夢破れるとき、夢は逃げません、逃げるのは自分自身です。皆さんには、保護者の方、家族、友達、そして私たちという沢山のサポーターがついています。困ったときは誰かに頼ってください。少し休んだら、自分の力で立って自分の未来を切り拓いていってください。そういうあなたを先生は応援しています。

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