これまで様々な折に目標設定の大切さをお伝えしてまいりましたが、実は目標というのは3つにわけることができるのです。1つ目は結果目標です。これは自分が手に入れたいもの、成し遂げたいものが何なのかを決めることです。2つ目は行動目標です。これは、結果目標を達成するために日々どのような行動をしていくかを考えることです。そして、最後3つ目が状態目標です。これは、日々をどういう状態で過ごしたいのかを考えることです。例えば同じ勉強でも、嫌だなと思いながらやるのと、自分なりの楽しさを見つけて前向きに取り組むのとではもたらされる結果は大きく変わりますよね。
今回のテーマ「どう在りたいか」というのは状態目標を考えることとほぼ同じだとおもってください。僕が今日お伝えしたいのは、「どうなりたいか(=結果目標)」を考えることは大事なのですが、それと同じくらい「どう在りたいか(=状態目標)」を考えることも大事なのだということです。
多くの保護者の方の想いは、お子様が将来大人になったときに物心両面で幸せになってほしい、そのために早いうちから目標を持って目の前の勉強を頑張ってもらいたいということなのだと思っています。しかし、今の子どもたち本人の様子を見ていると、まだ将来やりたいことがはっきり決まっていないし、このままで大丈夫なのかなと思われている方が多いと思います。
確かに早いうちから「これを目指すんだ!」というものがあればそれに越したことはないです。ただ、まだ社会のこともほとんど知らない中高生くらいの年齢で、本気で打ち込める将来の目標がポンっと決まるのは実際難しいのではないかと思っています。では、何を目指して日々を過ごすべきなのかという一つの答えが、今回のテーマ「どう在りたいか」ということだと考えています。自分はどんな生き方をしたいのか、自分の中にどんな軸を持つのか、これは年齢に関係なく大事なことだとで、中学生くらいの年齢になれば十分ちゃんと考えられることだと僕は思っています。
入塾時にお約束してもらっている誓約書の内容は、塾の先生ではなく人生の先輩として子どもたちに「こういうことを大事にする生き方をしてほしい」という想いを込めたメッセージでもあります。僕たちの塾ではこのような、人としてどう生きていくかを考える勉強を「本学」と呼んでいます。一方、例えば数学とか英語など知識や技術の勉強は「末学」と呼んでいます。誤解を招かないようにお伝えしますが、決して本学の方が大事で末学は大事ではないということではありません。どちらも大事です。「本学」は木でいうところの幹であり、「末学」はそこから伸びる枝葉だと思ってください。二つが合わさることで立派な木になるわけです。しかし、幹が貧弱なのに枝葉だけ立派に育つということはないのと同じで、身に付けた知識や技術を使って社会で活躍するためには、「本学」的な学びも同時にしていくことが大事なのです。
話は戻りますが、仮に今の時点で「どうなりたいのか」という部分がまだ決まっていなくても、例えば周りの人に感謝の気持ちを持つ生き方をしようとか、目の前のことを全力で取り組むぞと決めて日々を過ごそうとかそういう自分の軸が決まれば、この先心からやりたいことが見つかって、自分はこれを目指そうというものが見えたときに、自分で未来を切り拓ける、強い生き方ができるはずです。
最後に、生徒のみなさんの中にはもしかしたら、自分の夢はまだよく見えていないけど、憧れの人ならいるぞっていう人がいるかもしれませんね。もしそうであればその人の生き方を真似してみるのはどうでしょう。本当に格好いい人って能力が高いとかルックスが良いとかそれだけじゃなくて、その生き方が周りの人を惹きつけていることが結構あるんですよね。みなさんはどんな生き方に憧れますか?
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